小倉北区紹介-こくらきたさんぽみち
「こくらきた歴史オルレ-ひがしまわり-」考えてみました
コロナ禍が訪れる前は、「オルレ」という韓国式の遊歩道・散歩道が流行していました。九州にもテーマごとに「九州オルレ」なるものが登場し、国内外で人気だったと聞きます。
小倉北区には、「長崎街道」、「中津街道」など代表的な街道がありますが、今回は「中津への脇道」という面白い看板を見つけたので、そちらをオルレ風に歩いてみることにしました。
本来の中津街道起点は「常盤橋」ですが、実は本州から船旅で大里に着き、概ね今回紹介するルートを通り、足原から中津街道に合流するという、小倉の市街地を通らずに中津へ抜ける「脇道パターン」もあったそうです。この峠越えの近道を中津藩主も参勤交代で使用したとの記述があり、「大名が脇道を・・」と考えると感慨深いものがあります。
今回のルートは、手向山公園「武蔵の碑」と「小次郎の碑」出発~旧鳥越峠(都市高速道路付近)~富野台北公園(小倉藩別荘「忘言亭」跡付近の絶景)~山門町公園(中津への脇道看板)~広寿山福聚寺~猿田彦大神~足原公園(中津街道看板)ゴール。写真を撮ったり、おやつを食べたり、ゆっくり歩いて約2時間コースです。
出発点の手向山公園では、例年4月に「武蔵・小次郎まつり」が開催され、野点や少年剣道大会などで賑わいます。ここ数年はコロナ禍のため中止となっていますが、地元ではこのおまつりは春を告げる風物詩となっていて、一日も早い復活が望まれています。ここにはほかにも数多くの史跡が残っており、山を下りながら見学していきます。その中のひとつ、明治時代の砲台跡というものがあります。関門海峡防備で設置されたものですが、実際に使われることはなかったそうです。
ここから次のポイントは富野台なので、手向山を下りながら息を整えましょう。長い富野台の坂を上っていくと左手に可愛い滑り台が見えてきます。このあたりが「旧忘言亭」ではないかと思われます。今でも遠く彦島まで見渡せるほどの展望ですが、かつては現在の3号線の向こうは海。200年前の関門海峡の眺めは「言葉を忘れる忘言亭」の名のとおり、峠道の疲れを癒したことでしょう。
さて、急傾斜ののぼり道はここまでです。都市高速道路の側道へ引き返し、延命寺川を上って平安時代建立と言われている須賀神社へ。この辺りは季節になるとホタルが舞う趣のある通りです。このまま住宅街を抜け、県道湯川赤坂線を目指すと、小倉小文字郵便局が見えてきました。この郵便局の横に「山門町公園」があります。何を隠そう、ここにこのオルレの目玉「中津への脇道」説明板があるのです!ここでおやつを食べながら看板に注目。今も昔も近道ってワクワクしますね。
それからしばらくは、この県道湯川赤坂線を南下していきます。次の立ち寄りポイントは広寿山福聚寺です。小倉藩の初代当主が菩提寺として建立したお寺です。途中で焼失した部分もありますが、約350年の歴史を感じる福岡県指定の文化財です。
福聚寺を過ぎて少し行くと、道沿いに「猿田彦大神」の碑があります。全国的に道案内の神様として知られていますが、実は「縁結び」にもご利益があることをご存じでしたか?ここはこっそりお参りしておきましょう。
そろそろゴールが見えてきました。足立二丁目の交差点から西に折れ、大通りを渡ると足原公園です。ここから先は、小倉南区の湯川、葛原へと続く本来の「中津街道」になります。
いかがでしたでしょうか。小倉北区の東部を歩く「こくらきた歴史オルレ-ひがしまわり-」。次に機会があれば「長崎街道」を歩く、「こくらきた歴史オルレ-にしまわり-」もご紹介できたらと思います。
小倉北区の史跡説明板の詳細は、小倉北区役所ホームページをご覧ください。
URL https://www.city.kitakyushu.lg.jp/kokurakita/w2100144.html
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